| 見よ、私は戸口に立って、たたいている。誰か私の声を聞いて戸を開ける者があれば、 私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と共に食事をするであろう。 |
| (日本聖書協会『新共同訳・新約聖書』ヨハネの黙示録 3章20節) |
| 人は他の動物とちがって、宗教的な性質をもっています。それを否定するのは自由ですが、否定すると、自分というものがわからなくなります。 自分が何者であり、どこから来て、どこへ行くのかわからず、濃い霧の中にいるようになります。 宗教を比較して、善し悪しをいうこともできます。しかし、人はまことの宗教を超えることができませんから、比較している宗教さえも、本当に知ったことになりません。 人はどれほど考えぬいても、神を知るには至たりませんが、もしも聞く耳があれば、神が語られる言葉(聖書ならびにキリスト)によって、 神を知り、神を愛することができるようになります。その結果、初めて人は自分のことも、世界のことも、知ることができるようになります。 そのために、神は聖書と教会を、この世に与えてくださっています。 |
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あなたの閉ざされた心の扉を
今、イエス・キリストは叩いています。
(今までもずっと・・・)
あなたのすべてをご存知で、
なおも、あなたの罪をゆるし
愛していて下さいます。
あなたも、イエス・キリストのもとに来て
みことばをお聞きになりませんか。
